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家族として末期癌と闘う日々~家族の判断(延命処置と告知)

患者の家族が、判断しなくてはいけないこと、休暇や介護については、前記事で。

患者の家族は次に、患者が急変した時に家族が延命処置を希望するのか?

また、患者に告知をしたいか、したくないか?の選択もしなくてはいけません。


先生の話では延命処置を望まないケースの方が多いのだそうです。

ここで言う延命処置とは、心臓マッサージや人工呼吸器などの処置をすることを言います。

会わせたい家族が遠方の場合など、その様な処置をし、命を長らえさせる場合がありますが、一旦装着すると家族が揃ったからと言って外すことはできません。それは殺人行為になるから。


我が家の場合も、延命処置をしない方を選択をしました。

これ以上苦痛を長引かせたくない、と言うのも理由です。


また、本人への告知は
『しない』へ。

先生は、

『多くのご家族は、しない方を望まれます。でも、告知をしないと、本人は良くなって家に帰れると思います。』

あ…、そうか…。ズキッと心が痛みます。

『告知する、と言うことは、ご本人にとっては辛いことですが、ご本人が立ち直った時、残された家族に伝えておかなければならないことを伝えた上で旅立つことができる可能性があります。』

(ふと、敗血症になった場合は告知しない方が良かったと後悔しないのか…?とよぎりました)

さらに続く。

『でも告知をしない場合は、伝えるべきことをしないままに旅立つことになるケースも。どちらが良いか、ご家族でよく話し合われた上で、意見をまとめてご回答を下さい。それは後日方針が変わっても差し支えありません。』と。

家族はしーんと静まり帰ってしまいました。

今まで、告知と言うことをそんな風に捉えたことがなかったからです。


告知したら、ショックで落ち込み、そのまま逝ってしまうのではないか…。


それが可哀想に思えてなりませんでした。

色々考えた末に、

『しません。』


今思うと、これが家族として最良の選択だったかどうか…。
家族としてのエゴはなかったのでしょうか。答えは出ないまま、告知もしないまま、私はいまだにモヤモヤしています。

なぜなら

医師が回診に来られる度に

『私は良くなるのでしょうか?』と母。

入院して一週間は、休みの度に遠方から普段会えないな親戚まで見舞いに来ると、かなり落ち込み、不穏状態になっておりました。

不安で眠れない日々も。


良くもならないけれど、これ以上の治療もない、ただ病院のベッドで寝たり起きたりするだけの生活は、患者にとっても家族にとっても、モッサンの思い出し笑いの話に出てくるマムシの様に、まるで蛇の生殺し状態に思えて来ます。

行き場のない思い。
難民と言う言葉、まさしく言い当てている気がします。


皆さんは告知の問題をどうお考えになりますか?

前々回の記事に複数の匿名希望さんからのコメントやメールや生の声などでメッセージをいただきました。
リコメはできませんが、皆さん、心からお礼を申し上げます。

記事の最後にご承諾いただけた方のケース症例を少しづつ追加させていただきます。
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家族として末期癌と闘う日々~家族の判断(休みと介護)

患者の家族が、判断しなくてはいけないこと、それは

休暇や介護、患者への告知をするかどうか、と延命処置を希望するかどうか。

これが、患者の状況の変化と共に心が揺らぎ、判断に困りことになります。


患者のいないところで医師から癌の末期であると告知を受けた時、私達は頭が真っ白になりました。


まさか、自分の家族に限ってそんな…。


そしてそのうち、頭を色んなことがよぎり、葛藤が始めます。


”今は何を置いても看取りたい”


”でも、休みをどうしよう…。”


”休むべきか、先に仕事を片付けるべきか。”


”長期の付き添いになるのだろうか、付くべきか否か…。”


その判断は初めてだと尚更難しいのです。


患者が危篤なら無条件で休みます。

が、あまり緊迫感がない段階だけれど検査結果が非常に悪い場合、いつからどれくらい介護に付いたら良いのかと言う見極めがさっぱりつかめません。


肝臓癌の末期は、急変をしやすく、敗血症を起こしたら数時間以内に亡くなるケースがある、と家族は説明を受けます。


そして、患者さんが余命を有意義に過ごす為には家族の協力が不可欠です、とも。


それならと、取り敢えず2日ほど休みを取ってみました。


容態が変わらない…。
するとその翌日から休みをどうしようと悩みます。


余命半年と言われて敗血症をすぐに起こす人もいれば余命1ヶ月と言われながら1年以上後の方も…。


あらゆる手段を使って色んな情報を集めたところで、自分の家族のケースはわからない。

宗教をされている方の中には奇跡的に癌が消えた、なんて言う話もいらっしゃいます。

医師が宣告する余命は、いかに個々には当てはまらないか…。


長期戦になりそうなら、切羽詰まった時の為に休みを取っておいた方がいいのではないだろうか、と言う心理も働いてしまいます。


介護に付く=急に休みを取り、仕事に穴を開ける。


会社勤務ならスケジュール調整と不足した分の人員調整など色々あると思います。


姉の場合は教職についておりましたが、母のいざと言う場合に備えて退職しました。
その潔さには感服です。


私の場合は、上司へ随時電話やメール連絡をし、日を決めて会社へ行き、上司と総務の方を交えて相談をさせていただきました。


その際に当面どのくらい休みを申請したら良いかわからない旨を伝えると、

最初は有休。それから後は介護休暇に…。

(介護休暇は有休がなくなった時に申請できる制度で、最長期間は3ヶ月。この間は会社からの給与はありませんが、社会保険から収入の六割が支給されます)


お陰で、しばらく週末ごとに状況報告をし、休みの事務的な手続きは事後処理にしていただけることになりました。ありがたいことです。


介護に付く人の自宅から病院までの距離も問題です。


勤務先や家から病院が近ければ通うこともできますが、遠方だと仕事と家事と介護と通いでは体を壊すか睡眠不足で事故を起こします。


県外ならまして大変だろう、と思います。


私の場合は、子供が二人とも社会人ですが、これが子育て中だったり、家族に障害がある方や、他にも高齢者を抱えている場合などは、あちらを立てればこちらが立たずで、誰もがお手上げ状態になることは火を見るより明らかです。


付き添い介護期間が長くなると言うことは、付き添いに付く側の生活や人間関係にも支障を来すことにもなるのです。

付き添いできればそれで良い、とは違う、だから悩みます。


医師や医療に携わる方は、家族の協力が必要だと言われますが、実際には付き添い介護に付く方の家族(配偶者や義親や子供など)や勤務先、他にもかなりの負担と協力を必要としているのが現状だと私は思います。


『介護なんて先のことだ』

いえいえ、私もそう思っていました。


これだけ高齢化が進んでいるのです。

皆さんも介護に付くと言うことがこんなにも色々な人を巻き込む上で成り立つものだと思い知らされる時が来るでしょう。

付き添いは、それに専念できる環境があって初めて成り立つ、ありがたいことなのだ言う、感謝の気持ちを持ちたいものです。


次回、延命処置、告知に続く…。

家族として末期癌と闘う日々~きっかけ

長いこと更新をお休みしている中、何度となくブログにアクセスしていただいて下さる皆さんに、何とお礼を申し上げて良いものか…。

心からお礼を申し上げます。
そしてコメントをいただいていてまだリコメできていない方、ごめんなさい。

私がこの記事を綴ろうと思ったのは、介護に付いて10日以上過ぎ、自分達が癌難民家族になったのでは…、と感じたからです。

介護に付いているとわからなくなることが多々あります。

家族の介護に付くことがあった時、本当に欲しいものは、介護に付いた方の生の声や情報。それが、患者のかたわらに居ながらにして得られること。

これが意外とありそうでありません。

あればいかにありがたいことか…。

母が眠っている時に、何か参考になるものはないか探したり、仲の良いブロ友さん達に様子を聞いたりしています。
行き詰まりを感じた時に、家族としてどう接して良いか悩む時に、悲しいかな、PCからなら見れるのでしょうが、私の場合、介護中に見れるのは携帯だけ。

でも携帯から見られる情報には限りがあります。

肝心なところは高額なデジタル書籍だったり…。悲しいかな、です。

こちらからは、まだ経験が少な過ぎてリコメはできませんが、このブログに

癌で苦しむご家族が一番大変だった時をこう乗りきった、

そんな情報がたくさん欲しいです。(>人<)

介護に付いているとゆっくり本を検索している暇がありません。
本人は、

キツい
痛い
苦しい
辛い
気分が悪い
怖い
不安

なわけですから
机上の空論も要りません。

生の情報が欲しいのです。


また、もしもここの記事やコメントを皆さんがもし同じ立場になった時、または仕事でそんなケースに携わった時、部下や同僚がそんな立場になった時に状況を推し量る時、などなど、ここでの情報が共有されて、そこからさらに癌の末期を患者や家族が少しでも気分良く過ごすことができたら…、そう思ったのが記事を書かせていただこう、と思ったきっかけです。


私は自宅から約二時間の実家近くの病院で、主に義姉、姉と交代で介護に付いています。

私の母はもともと心筋梗塞で13回もカテーテル手術を受けておりました。
肺気腫もあり、体に酸素が足りない為、自宅にて酸素療法をして日々を過ごしておりました。

年齢86歳。

2月には、

自分がいつどうなるかわからないから、関西に住む母の義妹のところに最後に会いに行きたい


と言う願いから、5月連休を利用して私や姉同伴で行こうと計画していました。


連休が近づくに連れ、本人が体力的に無理そうと言うので、どうしても見たかった芝居だけは、と温泉に連れて行きました。


ところが、途中から

『早く終わらないかな。面白くない。』と。

せっかく長いこと楽しみにしていた芝居も体がキツくて、楽しめず、

泊まる→泊まらない→娘のところに泊まる→自宅へ帰ると言う具合に刻々と気持ちが変わり、家族が母の具合に振り回された形になっておりました。

この頃から家族達は薄々あまり長くないのでは…、と感じておりました。

数日後、実家に電話をしたら義姉から意外な言葉が。

『お義母さん、最近、友達から、顔や目が黄色くない?って言われてるから、病院に連れて行ってみようと思うのよ。』

こうして、体調不良への気付きが、私達家族が癌末期の家族として闘うことになった第一段階となりました。

2週間ほどお休みしますm(_ _)m

せっかくコメントをいただいたり、応援をいただいたりしておりますのに、大変申し訳けありません。
実母が緊急入院しました。
すぐにお返ししたいのですが、少し落ち着くまでお待ち下さいね。m(_ _)m

大丈夫になったら、必ずリコメします。

続きを読む

苗代の準備





今日は、苗代の準備の為、義母宅に帰っています。帰ったら義母が動き過ぎで気分が悪くなったと、顔色悪くしてベッドに横たわっていました。

今日は母の日だったので久しぶりにスッポン料理を食べてもらおうと準備していたので、すぐにスッポンのスープを解凍したものを気付けに飲ませ、横になってもらいました。

田んぼに出ても心配なので、ちょっと顔色が良くなるのを待って田んぼに来ています。

2011~2012年の市内の気温傾向(チリ~ン)

コメントをお返しできていない方、ごめんなさい。

昨日まで、仕事が忙しく、あまり手が回りませんでした。今日は母の日でもありますし、また苗代の準備で田舎に帰ります。
落ち着いたらコメントをお返しさせていただきますので、宜しくお願い致します。


今年は気温の上がり下がりと雨の降る・降らないが激しい年ですね。

茨城県・栃木県、今回の竜巻及び気象の変化で被害を受けられました方々、お見舞い申し上げます。m(_ _)m

今年の大分の気温、降雨量の傾向を、目で見てみましょう。

久しぶりにチリ~ン(笑)

これは2011年5月12日~2012年5月13日までの1年間のデータ

チリ~ン(20120513)


2011年は2010年の10月からパタリと雨が降らずに6月までまとまった雨がない為、ダムに水がたまらず、田植えができなくて、初めて1ケ月送れの田植えとなった年でした。


2011年の9月は大分でも雨が酷かったですが、全国でもその傾向がありましたね。特に近畿地方やその周辺の県が冠水などが酷くて、ご苦労が多かったことと思います。

今年は、大分は2011年同様、1,2,3月の寒波が凄かったですね。

2011年と違うところは、寒波が凄かったけれど、冬にはちゃんと雨がそこそこ降っています。
ですからダムには貯水があります。

さてさて、今年の収獲はいかに・・。

皆さんのところのデータ取りもしたかったのですが、なかなか時間が割けず、今年はごめんなさいです。m(_ _)m







イラン産のイチジクの実生に思う

イランやトルコなどはイチジクが普通に自生しているそうです。

そう、日本にシャシャンボが自生しているのと同じ様に、普通に生えている様です。(笑)


イチジクにはオス花とメス花があり、オス花に付く花(実の形をしたもの)とメスに付く花(実の形をしたもの)は外観的には普段私達が目にしているイチジクの形をしているのでオスメスの区別がつきません。

ソレイユさんから戴いたイラン産のイチジクには蒔いて発芽したものです。


コメントで、『このイチジクは受粉しているのですか?』と聞かれます。

YESだと思います。

その答えはこちら。

一般に日本ではイチジクの新品種の研究をしているところは少ないのではないでしょうか。
それはおそらくイチジクの受粉には、ある虫が介しているのですが、その虫が日本の寒さで育たないから、と言われている様です。

日本のイチジクは受粉しなくても大きくなる品種が導入されており(雄花がつかず、雌花のみで熟す単為結果の性質を持つものがほとんど)、受粉せずにそのまま太ります。

イチジクは『無花果』と書きますが、実は無花果の花は実の形をしたものの中にあります。
『無花果』なのではなくて、花が外から見えない果実なのです。

イチジクの中を割ると、約2000本の『花嚢 (かのう)』と呼ばれる突起状のものがあり、それ自体が花なのです。無花果と書くのに、実は2000本近い花がある、不思議な木なのです。(笑)


イラン産のイチジクは、メスのイチジクコバチにより受粉しているので、種をまくと発芽します。

↑の記事にもありましたが、

イチジクは、オス・メスのうち、

メスのイチジクには虫が受粉できるけれど産卵ができないシステムになっていて、オスのイチジクだけ花(実の形をしたもの)に産卵・子育てできるシステムになっているのです。

なぜ?

それは、子孫を残すため。
イチジクコバチが受粉に来てくれたのは良いけれど、ちゃっかりメスのイチジクに産卵されたら、せっかく受粉しても種が食い尽くされてしまいます。

これでは、受粉した意味がありません。

だから、イチジクはイチジクコバチの産卵するスペースがオスのイチジクの木にだけ備える、と言う進化をしたそうです。

『え~っ、それじゃ日本のイチジクは?』
『日本では受粉を介する虫が育たないので、日本のイチジクには虫がいません。』と言う風になるらしい。


もし、日本でイチジクの品種改良をしようと思ったら、イチジクコバチなら何でも良いわけではありません。

その品種専用のイチジクコバチでないと受粉ができないそうです。だから輸入して受粉する場合は、専用のコバチを一緒に輸入しないと種は作れない、と言うわけです。


では、日本には全くコバチはいないのでしょうか?

西表島では、ギランイヌビワ(イチジクのミニチュアの様な果実)にイチジクコバチとオナガコバチなどが来ることがあるみたいですね。さすが、1月で平均気温が17度以上の暖かい地域です。

何とも、りょっつぁんや仙人さんが好きそうな話題でしたね~(笑)






コゴミ料理

親戚から、またまたコゴミをいただきました。
かずこおばさ~ん、ありがとうございました。

早速、卵4個をほぐして塩・胡椒・鶏ガラだしを合わせ、油を少し多めの油で強火でふわふわに炒めて、取り出し、




コゴミを炒めて塩胡椒して取り出し、




トマトを炒めます。

それに取り出していた卵とコゴミをざっくり合わせ、塩て味を整えて、生クリームをあえて出来上がり。(生クリームなしでも美味しいです)






簡単過ぎて料理と呼べるかわかりませんが、新米主夫の方でもコゴミ無しで、とかコゴミをアスパラや他の野菜に切り替えて作れますから、是非あと一品に…。

イチジクの実生のその後





左、イラン産イチジク実生。右、トルコ産のイチジクの実生。

やっぱりイラン産は寒にやられたみたいですが、他のところは元気なので様子を見ています。

セイベル9110









ぶどうのセイベル9110の蕾が付き始めました。
何年経っても豚のしっぽな房もあれば、妙にまともな房もあります。

もう4年目のぶたのしっぽ。

ぶたのしっぽの形の房ができやすいのは、苗木が幼木だからではなく、この品種の特性のひとつなのかも知れません。
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