裁判員制度とカタツムリ
皆さんは裁判員制度について、身近にお感じになりますか?
私は、先日TVで少年の死刑判決が下った裁判以降、とても身近に感じています。
今日、この制度について、この題目をかかげたことで、たくさんの方からお便りをいただきました。
私自身もそんな皆様の考え方を拝見して、考えさせられましたし、ある情報を目にし、今回の記事は内容が不適切と思い直し、書き直しました。
あれっ、朝と違うじゃない・・?
はい、1粒で2度・・・違いますね・・(苦笑)
良かったら、長いけれどもう1回読んで下さい。m(_ _)m
私にそのご意見を下さった方々、本当にありがとうございました。
特に被害者家族の心境。
1つの事件が起きることで、ご本人やご家族の方々がどんなに傷付き、何年経っても心の傷が決して消えることがない深刻なものであること、読んでいるこちらまで涙が・・。
加害者側には加害者側の事情、社会的立場の剥奪、心の傷もあることでしょう。
もしも被害者家族の訴えが裁判員の心に届き、死刑判決になったら、きっとこの『被害者』『加害者』の立場や感情は一転してしてしまうかも知れない・・。
いつだったか、
某ブログの記事を拝見していた時に、ある傷付いたカラスを見て、とても憐れに思ったけれど、自分にはどうしようもない立場だったから見殺しにした、でもその一方で鳥を調理したものを美味しいと食べる自分もいる、自分でも矛盾を感じる、と書かれておりました。
私も、同感なんです。立場が変われば、自分自身に矛盾を感じることばかりです。
私は、ブルーベリーの栽培を始める前まで、虫が怖くて田舎から丹精込めて無農薬で栽培してくれた野菜に、毛虫が付いていると、『キャー』と叫ぶが早いか、野菜は宙を飛ぶことは珍しくありませんでした。
できれば虫は避けたい・・・。触りたくもないし、殺したくない、見たくもない。できれば遠ざけていたい・・。
自分でもなぜ虫が怖いのかわかりません。幼少時代のトラウマなんでしょうね。
ところが、栽培していると虫とは無縁ではいられません。ヨトウムシなんて、憐れなものです。虫にも生きる権利はあるはず。
なのに、虫は命を取られる必要があったのか・・。
と心の片隅にあっても、やっぱりブルーベリーが可愛いから、怖い気持ちを抑えて捕殺。そして、自分の残酷さが嫌になります。
自分は正しいとは思えない。一体何が正しくて、何が間違いなのか?
ブルーベリーの栽培をしている人がみんなやっていることだから、これは正しいこと?
この矛盾だらけの生活の中で、それをごく普通なものとして受け止めていくことが一般人なのだろうか・・。
今日、畑で息子が穴掘りを手伝ってくれました。
『母さ~ん、何か白い虫がコロッて出てきたど、どうする?』
『あ、コガネムシの幼虫だわ。これがいるとブルーベリーの根を食べちゃうのよ。プチっと頼むわ。』
こう言いながら、良心がチクリ。殺したくないと思っている人がこれです。
昨年、こんなことがあったのですよ。
我が家が苗代の準備の頃に不明卵が異常なほど無数にあったのです。
ある方から、
『アフリカマイマイなら、危険だから、触らない方が良い』
『なめくじの卵では』
『カタツムリの一種では・・』
『ホウネンエビだと思う』
沢山のご意見をいただきました。
危険なものかどうか、心配で、画像を持参でカタツムリのサイトの方を訪ねました。
『卵の種類がわからないので、もしわかったら教えて下さい。現在、水に浸けて孵化するのを待っています』
すると、そのサイトの方は、激怒されました。なぜなら、カタツムリは肺呼吸なのです。
もしも、それがカタツムリだったら、孵化した瞬間に、溺死してしまうではないですか!!!と・・。
私の何気ない一言は、カタツムリをこよなく愛する方々にとってひんしゅくを買ってしまいました。
もちろん、すぐに謝りました。
卵を水に浸けた行為に怒りを露わにされたことは、私がブルーベリーを虫から守る為に、あれこれ虫対策をしているのと、何も変わらないんですよね。守りたい命は、人それぞれ違う。
結局、その卵は孵化したものがホウネンエビだったので、カタツムリのサイトの方に、それ以上のご迷惑をかけることはなく、ほっとしました。
『世の中』には、『自分』と異なる考え方を持った『存在』があることに気付かされた一瞬でした。
本当に当たり前のことかも知れないのですが、人にはそれぞれの価値観があり、大切にしているものが皆違います。それは、全国のたくさんの皆さんとメール交換をさせていただいている時にも強く感じます。
裁判員制度について考えた時、私はそのカタツムリのサイトの方のことを思い出します。
言葉にしないと、人の考えなんてわかりません。そして、自分の意見も言葉に出して、言わないとその考えは伝わりません。
『命』に直結することがある、国民の意見を取り入れた裁判に『世の中』のそれぞれの価値観に基づいた意見。より公平な裁判になって欲しいもの・・、と願ってやみません。
国民一人一人の『正義』『愛』『情』『残酷さ』『憎しみ』それぞれが一瞬一瞬で、自分自身も気づかないうちに矛盾の心を併せ持つ『存在』だと言うことも、忘れないで欲しい気もします。
100人いて99人が『虫がいたら捕殺』、これが正しい、と言えば、正しいのか。
う~ん・・・、コガネムシさん、ヨトウムシさん、ごめんなさい。m(_ _)m
あ~っ、やっぱり裁判員制度でも最後には、ブルーベリーになっちゃうのね・・。(^ ^;)
私は、先日TVで少年の死刑判決が下った裁判以降、とても身近に感じています。
今日、この制度について、この題目をかかげたことで、たくさんの方からお便りをいただきました。
私自身もそんな皆様の考え方を拝見して、考えさせられましたし、ある情報を目にし、今回の記事は内容が不適切と思い直し、書き直しました。
あれっ、朝と違うじゃない・・?
はい、1粒で2度・・・違いますね・・(苦笑)
良かったら、長いけれどもう1回読んで下さい。m(_ _)m
私にそのご意見を下さった方々、本当にありがとうございました。
特に被害者家族の心境。
1つの事件が起きることで、ご本人やご家族の方々がどんなに傷付き、何年経っても心の傷が決して消えることがない深刻なものであること、読んでいるこちらまで涙が・・。
加害者側には加害者側の事情、社会的立場の剥奪、心の傷もあることでしょう。
もしも被害者家族の訴えが裁判員の心に届き、死刑判決になったら、きっとこの『被害者』『加害者』の立場や感情は一転してしてしまうかも知れない・・。
いつだったか、
某ブログの記事を拝見していた時に、ある傷付いたカラスを見て、とても憐れに思ったけれど、自分にはどうしようもない立場だったから見殺しにした、でもその一方で鳥を調理したものを美味しいと食べる自分もいる、自分でも矛盾を感じる、と書かれておりました。
私も、同感なんです。立場が変われば、自分自身に矛盾を感じることばかりです。
私は、ブルーベリーの栽培を始める前まで、虫が怖くて田舎から丹精込めて無農薬で栽培してくれた野菜に、毛虫が付いていると、『キャー』と叫ぶが早いか、野菜は宙を飛ぶことは珍しくありませんでした。
できれば虫は避けたい・・・。触りたくもないし、殺したくない、見たくもない。できれば遠ざけていたい・・。
自分でもなぜ虫が怖いのかわかりません。幼少時代のトラウマなんでしょうね。
ところが、栽培していると虫とは無縁ではいられません。ヨトウムシなんて、憐れなものです。虫にも生きる権利はあるはず。
なのに、虫は命を取られる必要があったのか・・。
と心の片隅にあっても、やっぱりブルーベリーが可愛いから、怖い気持ちを抑えて捕殺。そして、自分の残酷さが嫌になります。
自分は正しいとは思えない。一体何が正しくて、何が間違いなのか?
ブルーベリーの栽培をしている人がみんなやっていることだから、これは正しいこと?
この矛盾だらけの生活の中で、それをごく普通なものとして受け止めていくことが一般人なのだろうか・・。
今日、畑で息子が穴掘りを手伝ってくれました。
『母さ~ん、何か白い虫がコロッて出てきたど、どうする?』
『あ、コガネムシの幼虫だわ。これがいるとブルーベリーの根を食べちゃうのよ。プチっと頼むわ。』
こう言いながら、良心がチクリ。殺したくないと思っている人がこれです。
昨年、こんなことがあったのですよ。
我が家が苗代の準備の頃に不明卵が異常なほど無数にあったのです。
ある方から、
『アフリカマイマイなら、危険だから、触らない方が良い』
『なめくじの卵では』
『カタツムリの一種では・・』
『ホウネンエビだと思う』
沢山のご意見をいただきました。
危険なものかどうか、心配で、画像を持参でカタツムリのサイトの方を訪ねました。
『卵の種類がわからないので、もしわかったら教えて下さい。現在、水に浸けて孵化するのを待っています』
すると、そのサイトの方は、激怒されました。なぜなら、カタツムリは肺呼吸なのです。
もしも、それがカタツムリだったら、孵化した瞬間に、溺死してしまうではないですか!!!と・・。
私の何気ない一言は、カタツムリをこよなく愛する方々にとってひんしゅくを買ってしまいました。
もちろん、すぐに謝りました。
卵を水に浸けた行為に怒りを露わにされたことは、私がブルーベリーを虫から守る為に、あれこれ虫対策をしているのと、何も変わらないんですよね。守りたい命は、人それぞれ違う。
結局、その卵は孵化したものがホウネンエビだったので、カタツムリのサイトの方に、それ以上のご迷惑をかけることはなく、ほっとしました。
『世の中』には、『自分』と異なる考え方を持った『存在』があることに気付かされた一瞬でした。
本当に当たり前のことかも知れないのですが、人にはそれぞれの価値観があり、大切にしているものが皆違います。それは、全国のたくさんの皆さんとメール交換をさせていただいている時にも強く感じます。
裁判員制度について考えた時、私はそのカタツムリのサイトの方のことを思い出します。
言葉にしないと、人の考えなんてわかりません。そして、自分の意見も言葉に出して、言わないとその考えは伝わりません。
『命』に直結することがある、国民の意見を取り入れた裁判に『世の中』のそれぞれの価値観に基づいた意見。より公平な裁判になって欲しいもの・・、と願ってやみません。
国民一人一人の『正義』『愛』『情』『残酷さ』『憎しみ』それぞれが一瞬一瞬で、自分自身も気づかないうちに矛盾の心を併せ持つ『存在』だと言うことも、忘れないで欲しい気もします。
100人いて99人が『虫がいたら捕殺』、これが正しい、と言えば、正しいのか。
う~ん・・・、コガネムシさん、ヨトウムシさん、ごめんなさい。m(_ _)m
あ~っ、やっぱり裁判員制度でも最後には、ブルーベリーになっちゃうのね・・。(^ ^;)
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